父の最期の3週間 覚え書き

以下は自分への覚え書きです。思い出したら書き足してます

3月24日

  • 朝方、母が父の事を「もう長くないかも知れない」と自分に伝える。このときはいつもの母親の大げさな表現でちょっとひどい肺炎にでもなったのだろうとたかをくくっていた。この時より家族にとっての父の最期の3週間が始まる。

3月25日

  • 体調が悪いためかかりつけ医に行く
  • 医師に2~3週間の検査入院を勧められるが本人が拒否

3月26日

  • より体の状態が悪くなったので再度病院へ行く
  • 医師により強く検査施設の整った病院への検査入院を進めるがまたしても本人が嫌がる
  • しかし、家族と医師の説得に折れて入院を承諾。すぐに紹介された病院へ入院。

3月29日

  • かんたんな検査の結果、心臓の心膜の間にある心嚢液というのが通常の人より多くなっており心臓を圧迫し心臓の動きを阻害し危ない状態なのですぐにでもその水を除去する必要があるとのこと
  • 其の手技に必要な機械をただいま取り寄せていいるが緊急を要するということなので近くの医大に行けばその手技がすぐに可能ということなので急遽転院することに
  • 医大の内科に搬送
  • 容態がさらに悪化し、担当医師が人工呼吸か予定していた手技(心嚢液除去)のどちらかの判断で悩んだらしいが心臓と心膜の間に針を刺し心嚢液を取ることを判断し実行
  • 結果、最悪の状態から少し安定し持ち直す
  • この時、人工呼吸(挿管)をも実行していたらその後意識があるにも関わらず父親との意思疎通もできずに最後を迎えたと思うとこの判断にとても感謝
  • 処置後、説明のためすべての家族(母、息子3人)を呼ぶように担当医師に進言される
  • 三男が東京より帰札
  • 8時頃 母を含めた4人が医大に集合
  • しかし、大震災のため担当医師が宮城県からの緊急ヘリによる搬送患者を急遽担当することになって、1時間30分ぐらい説明開始が伸びる
  • 医師の説明によると、かなり重篤な状態であり血液検査及び心嚢液の検体からの現在判明している数値で判断すると、おそらく癌性のものであり転移している可能性が高く、あまり長くは無いとのこと
  • 詳しい診断結果はもっと後になるが、体調の回復を待って必要と思われるCTやよりくわしいレントゲン等の検査を行い癌性のものでであればどこが原発(最初の癌性発症部位)を特定するとのこと
  • 悪性であれば段階はステージ4相当であるとの認識
  • この段階では癌での治療法としての抗癌剤、放射線治療は体力的に死期を早めるもしくは父に余計な苦しみを増やすことが考えられるので勧めはしないとのこと
  • それを受けて家族的にはさらなる痛みをともなう治療、死期を早める治療は行わないことで了解
  • 延命治療(人工呼吸・人工透析など)の件については、以前より夫婦で話がされていたのか母が即断で不必要告知の旨を伝える。息子3人も合意
  • 正式な検査結果がでた段階(もしステージ4の癌なら)での本人の告知の有無に関しては母が知らせないで欲しいと回答。息子3人も了解
  • すべての説明をA4用紙に丁寧に図解付きで3ページ分書きながら素人にも分かりやすいように解説してもらい、父の死期が近いことを家族全員が覚悟する
  • 医大を出てびっくりドンキーで食事、今後の対応を相談
    • 父の兄弟にその旨を電話連絡する
    • 万が一の葬儀の為の情報収集や準備
    • 病院の対応
    • 加入しているがん保険、入院保険の確認

3月30~4月1日

  • 連絡していた父の兄弟や親交のあった人たちがかわるがわるお見舞いに来てくれた
  • 札幌にいる父の弟は何度となく足を運んできてくれた
  • 心嚢液を吸いだすカテーテルのおかげで苦しくなる前に水を除去できるので本人とても楽そうだ
  • 異常値をだしていた血液検査も正常とはいかないまでも、点滴や薬のせいなのか転院当初よりはかなり改善したようだ

4月2日

  • 三男 東京へ帰る

4月6日

  • 医大での検査結果がでたとのことなので、三男を除いた家族で担当医師より説明を受ける
  • 医師により父に「これから検査結果の説明をします」と問いかけたが、自分はいいので家族に説明してくださいと答えたとのこと
  • 午後の5時の予定で説明だったのでが、その時間を父は知っているらしく4時頃から時計をみてそわそわしだし、脈拍を示すモニターの数値もときより上がったようだった
  • 説明をしてくれるのは呼吸器科の医師(今までの担当医師とはちがう)
  • 事前に用意してくれた用紙を見ながら説明
    • 肺癌の疑いが濃厚(肺癌は死亡後に解剖でもしないと決定)
    • 心嚢液の検体から顕微鏡により腺がんを発見
    • 肺がんによる癌性心嚢膜炎

 

  • やはり抗癌剤などの痛みが伴いかつ死期を早めるような治療は見合わせたほうが良いとのこと
  • 告知はしないのでホスピス(終末に特化した施設)は無理
  • 医大ではこの段階では、おいておけないので転院を要望された(先にこちらからも聞いてみた結果)
  • 一応、医大の前に入院していた病院に話はしてあるようで、週明けに転院できるかもしれないとのこと
  • 余命は1,2ヶ月でしょうとのこと
  • うちの場合の死因はどうなるだろうかとの質問には「おそらく呼吸器不全だと思いますが心臓も他の臓器にも転移しているので一概には言えないとのこと」
  • レントゲンにより背骨の一部にも転移していることが判明、神経まで侵されると痛みがでるかもしれないとのこと(たしかに一部の背骨の形が崩れていた)
  • 以上を受けて医師よりの説明はうけたことを知っている父に説明することに
  • 母はその場に自分がいるとだめそうなので、自分と次男だけで説明することに
  • 肺気腫の重篤なものということにした
  • おそらく癌というのが一番聞きたくないだろうから、あえて「肺癌でなくてよかったな」といったのを覚えている
  • 治療をするにしても手術になるにしてもどちらみち今のままでは体力がまったく足りないのでここ何ヶ月かけてまずは治療ができるまでの体力をつけることを提言し父了解
  • ベッドがあったところは4つある内科の心臓に関する内科でそこは病室番号もない重篤な病棟内ICU的な場所だったので、結果がでたのでベッドを移さないといけないことを伝える
  • 本人は医大に移ってから、調子が良くなったのでここ(医大)がいいという
  • その件に関しては、空きベッドのこともあるし、ほかにも重篤の患者さんもいるのだから一応お願いしてみるが、転院しなきゃならない可能性もあるということで了解

4月11日

  • 午前中に医大から元の病院へ転院
  • 背中がリモコンで上下動する医大のベッドから手動式になったのがご不満のようで、リモコン式にして欲しいと頼まれる
  • 環境が変わったせいか少し疲れているようにも思える
  • 本人が暑がるが実際はそんなに暑くはない。個室なので窓をあける
  • 見舞いが住んで仕事中に先生から話があるとのことで母から電話
  • 先生とは今後の方針について説明を受ける
  • 提携病院で肺がんに強い病院があるので一度データを観てもらうようするとのこと
  • 延命治療の可否についてなど
  • 夜7時過ぎに長男家族で再び見舞いに行く
  • あいかわらずの容態で普通に冗談を言ったりして、安心して帰宅

4月12日

  • 0時過ぎに母から電話。容態が急変し一時心停止にもなったとのこと
  • 急いで車で病院へ
  • 到着したら、5時間前に見た時とは違ってとても息苦しそうにしている
  • 痰がからんでいるようで時折首をふり肩で息をしていた。目は開けないで声をかけても反応はしない
  • その状態で1時間半ぐらい経過して、それ以上の悪化も見られないので母を置いて一時帰宅することにした
  • 車で家の駐車場に止めたとたん母から電話。
  • 「本当にもうだめらしい」とのこと
  • そのままUターンして病院へ
  • 到着後、病室に入ると医師と看護婦が交代で心臓マッサージをしていた
  • もうほとんど自力で脈拍がでないらしい
  • マッサージ開始後、約1時間のち

同 午前3時38分

  • 医師より「これ以上の本人の自力での回復が見込まれないため 平成23年4月12日午前3時38分にお亡くなりになりました」と死亡宣告を受ける

御礼

このたびは、父の葬儀にあたり皆様におかれましては大変忙しい中

ご会葬いただき、

また、過分なるご香料、ご供花、お供物をうけたまわり誠にありがとうございます。

みなさまのおかげを持ちまして無事葬儀を終えたことをご報告申し上げます。

慣れないことゆえ不義理があったかもしれませんがそこのところはどうか

ご容赦くださるようお願い申し上げます。

 

 

 

 

訃報

この度、私伊藤寿一の父 伊藤壽章(69歳)が
平成23年4月12日午前3時38分に永眠いたしました。

ここに生前のご厚情を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。

おって、通夜、葬儀、出棺は下記の通り執り行ないますので
ご通知いたします。

———————- 記 ———————-

日時

<通夜>平成23年4月14日(木) 午後 7時00分~
<葬儀>平成23年4月15日(木) 午前 9時00分~
<出棺>平成23年4月15日(木) 午前10時00分

会場  やわらぎ斎場  川沿
住所  札幌市南区川沿8条1丁目1-1
map  http://goo.gl/CoTM2
TEL  011-572-4411

喪主(母)   伊藤 喜代江
施主(長男) 伊藤 寿一

お知らせ

 

2011年4月12日3時38分

私の父 伊藤壽章(いとう としあき)(満69歳)が亡くなりました。

体調悪化のため3月26日に急遽検査入院しておりましたが
2日後の28日に万全を期すため医大に転院しました

10日間程の様々な検査の結果、4月6日に診断が下され

  • 肺癌(原発と考えられる)
  • COPD(慢性閉塞性肺疾患)
  • 心嚢液貯留
  • 肝機能不全

ステージ4と考えられるとのこと

4月12日午前に最初に入院した病院へ転院し

夕方に家族で見舞いに行った時までは意識もはっきりしておりました。

0時過ぎに病院から連絡があり病院に向かったところ

今までと違いかなり呼吸が苦しそうでありました

小一時間様子を見ておりましたがそれ以上悪化する様子もないので

一時帰宅しようと母だけおいて帰って自宅についたところ再び母より電話があり

短時間ですが心停止したとのことでそのまま病院に戻りましたが

すでに医師による心臓マッサージで蘇生を試みている状態でした

1時間ほどしていただきましたが、これ以上の回復の見込みがなく

かえらぬ人となりました。

多臓器不全の状態であり元の健康状態に回復する手立てが
見つからないとのことでした。

 

本人は、我慢していたのかもしれませんがほんの1,2ヶ月前は
このような状態に至る様子もみせなかったので、唐突すぎる
天上からのお迎えに戸惑いを隠せません。

必ずやってくるものだと思っていても、誰もが経験しなくては
ならないものだと心の片隅に貼っつけていても
それに出会うときはいつも心の準備不足の状態からその事実と
対峙しなければならないのだろうなとしみじみ思う次第です。

息子としての自分は、”言うことはきかない””反抗する”をいいトシこいて
つい最近までやっていたもので長男には恵まれなかったと思って
逝ったことでしょう。

意識のあるうちのお見舞いでは、ゆっくり休んでいればいいものを

「仕事あるんだからやくかえっていいぞ」
「迷惑かけた」
「ありがとう」

などと健康の時にはめったに口に出さない言葉を酸素吸入器からの
曇った音で何度も何度も伝えるのは、切ないものがありました

もし、生前に父と親交があったりお知り合いでありましたら

不肖の息子としてですが

「ありがとうございました」

とお礼を申し上げたいと思います。

 

診断結果

残念ながら、父の診断結果は

  • 肺癌
  • COPD(慢性閉塞性肺疾患
  • 心嚢液貯留

いろいろな検査の結果、肺癌が原発で他の症状に転移し、心臓の働きを悪くし

背骨にも一部転移の兆候が見られるとのこと

症状の進行的には転移が見られることからステージ4(末期)で

体力的にも抗癌剤や放射線治療はかえって死期を早めるので

体力を消耗させてまでできるような治療行為はおすすめできないとのこと

 

諸事象で医大では、これ以上手の施しようが無いので転院をお願いされた

母親の希望で告知はしたくないとのことなので、ホスピスは諦め

転院前の病院に移る方向で了承

 

医師との面談後、オヤジへの病状説明は母親では矛盾をきたすおそれがあるからと

母は辞退し、自分が説明を行った

 

  • 肺気腫の悪い状態が他の臓器に悪い影響を与えて、今の病状になった
  • 応急処置の成功で転院前より状態はよくなったが、これからの治療にはまだまだ基本的な体力が不足しているのでまたもとの病院に転院し2,32ヶ月かけて十分休養をとり体に負担のかかる治療や手術などはその後に判断して考える模様だと伝える

 

治らない病気ではないと知ってほっとしていたのか、もしくはこちらが嘘を言っているのを分かっていて逆に気を使って、頼りない笑顔を見せたのかは知る由もない

 

ただこちらとしても、普段のようにぶっきらぼうに 早く病院にかからなかったことを軽く皮肉るように冗談を交えながら話すのが精一杯だったので

体が一回り小さくなり、より一層深くなった顔の皺から本当の表情を読み取ることは難しかった。

 

予想は、していましたが実際に宣告されると体からチカラが抜けるような気がして呆然としています。

長男として父親に嘘の報告をしなければならないのも切ないです。

(本当のことを言う方が辛いのかどうかはわかりません)