評価

書評とか映画の評価とか、既知でないことに関してはとても参考にする。本の帯とか映画の煽り文句にも影響される。初めての分野だったり、著者だったりするときは人の意見って見たり読んだりするときのモチベーションには充分なりうる。ステマだろうが商業的な解説だろうがそれは受け取った人次第だろう。

しかし、自分が発する評価や基準を自ら読んだり、食べたり、聞いたりと自分の体で咀嚼した後においても外部の情報によって自分の感情や評価が変わるというのは戒めたいような気がする。なんか学校内のいじめにおける人物評価にもそんな形で現れていそう。

大好きなラーメン屋がネットで酷評されてて足が遠ざかった。観たいと思ってた映画を評論家が★1つで「時間の無駄」と書かれてて観なかった経験がある。先 日久々に食べたラーメンは旨くDVDで観た映画は面白かった。基準を外に託すと誰かに聞かないと幸せかどうかすらわからない化け物になってしまう
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また、一度でも自分の得意分野に関して自分自身が得意だと、もしくは好ましいと自覚した場合などは..

48 :名無し物書き@推敲中?:2011/04/21(木) 20:38:23.16
報酬刺激って言葉知ってる?
人の脳は、既に「同調した知っている情報」に対してしか興味を持たずその知っている情報の更新のみを必死になって行うんだそうだ。だから別なところ、い や、目の前に「別な面白いネタ」があっても、他人がこれ面白いよといっても、相変わらず自分が「同調した知っている情報」に対してのみ、情報の更新がされ るのを期待するんだそうだ。これを報酬刺激とか言うんだそうだが、広告屋や、コンテンツ屋も釣る為に利用するらしいよ。
報酬刺激って言葉知ってる?

講習会の内容の7割は受講者が知ってることで新しいことは3割以下というのが納得して聞ける内容だと言うのをを覚えてる。確かに足し算知らない子供に掛け算を掛け算を知らない子に割り算を教えるのは難しいし、極端に言えば英語喋れないのに全部英語で演者が話すようなものだ。何にしても受講者には最低限度の教養と興味が無いとその人に知識なりは伝わらないはずだ。そういう意味では、義務教育の中学校まではその最低限度の教養を身につけるところでありそれ以降の教育機関や会社、趣味などは報酬刺激による興味と知識の更新の連続になるのではないだろうかと思ってしまう。

 

あった、ちょっと違った

セミナーで講師が、参加者の知っていることを100%話すと、それは全部わかっていると不評を買います。では100%知らないことを話すと、今度は参加者は理解できずについてこられません。セミナーなど、何か新しいことを教える場で は、参加者が半分知っていて、半分新しい情報という配分、つまり50 %―50%の内容であれば、聞いている参加者の満足度がもっとも高くなります。まったく内容がわからない本を読破するのは苦行です。しかし、全部知っている内容の本では読む価値がありません。